ずっと紹介したかった作品です。
読解力がなさすぎて謎が残ったままなのですが
自分なりの解釈を書いていこうと思います。
高3限定(3)
(POE BACKS/BabyコミックスEXTRA)
(POE BACKS Babyコミックスextra) 梶本レイカ
■あらすじ
担任のイケダと付き合い始めた高校3年生の小野耕平は
夏休みにつかの間の同棲生活を楽しんでいたが、
彼はイケダの日常が余りにも不自然である事に気が付く。
イケダは決して町へと下りようとはせず、
日用品は全て宅配で頼み、
支払いは謎の通貨を使用していた。
イケダの不可解な様子は彼の明かされない過去と必ず関係があると
信じる小野は、イケダを立ち直らせようと必死の努力を始める。
その努力とは、悪夢の中でカラダが切り刻まれるのを
ひたすら耐え忍ぶという恐ろしくも奇怪な方法だった。
《収録作品》
■第11話 蹲う小腸
■第12話 驕る胃袋
■第13話 喚く肺
■第14話 微笑む心臓
■彼について
■最終話 閉じる皮膚
■親友トミーの告白(描き下ろし)
■あとがき(描き下ろし)
ついに高3限定も完結です。
本当に読むにあたってパワーが必要な作品だと思います。
でも、読み応えがあって読後には涙が出そうになりました。
予想を上回る展開で1巻からの自分の感想が恥ずかしいwwww
長くなりますが、よろしければお付き合いください。
以下ネタバレになります。
●“高3限定”とは
タイトルでもある高3限定、これは
“高3限定で愛人を選んでいる”
という今までの解釈とは異なります。
今回明かされたのは、
高3限定=コイサンゲンテイ
ということです。
つまり、高3限定とは
“コイサンゲンテイ”を聞き間違えて伝わったのか、
年月が経ち呼び方が変わったのか、
もしくは、トミーがわざと変えて小野に伝えたものであり、
高校3年生とは何も関係のないものでした。
コイサンゲンテイの“コイサン”とは、作中で
以下のように説明されています。
『コイサン』
『請ウ人』の因習———
この地方の古い習わしで池田姓が多いのは生け贄さんの名残
人身供養の一種
つまりは人命を賭した我慢くらべである
40日の間五臓六腑を模した敷地内で
「来イサン 請ウサン」掛け声の下
耐えるほどに本尊に近付き
祈願成就の力を得ると信じられ
始めは鞭打ち 次に爪剥ぎ、指詰め、耳落とし
中には四肢を切断され尚生き残る者も…
これは古くからの言い伝えであり、
実際の“コイサンゲンテイ”はこの言い伝えを使って
臓器売買や売春のために攫った人を長生きさせることでした。
攫った人に“コイサンゲンテイ”という希望を持たせ、
長生きさせることでより多くの臓器を抜く。
より多くのお金を得るためについた嘘が全ての始まりだったのです。
●土屋とカイドと小野耕平について
土屋は“ユリちゃん”を、
カイドは“イクミ”を、
大事に見守り、支えていた唯一の存在です。
土屋=カイドは『最終話 閉じる皮膚』で
仄めかされていますね。
最初は、小野は“先生”を支えていた存在だったので
土屋=カイド=小野
なのではないかとも思いました。
しかし、小野は二人とは違い、先生の願いを叶えた人間なので
やはり別の特別な存在なのかな、と思います。
●先生について
『彼について』で先生の過去が話され、一気に謎が繋がります。
母親に疎まれ、醜いと殴られ、売られた子。
それが先生でした。
先生の母親は孤児院長の一人娘で名前は松原百合。
ゆりせんせーは孤児院での母親の呼ばれ方ですね。
イケダイクミ、松原百合、どちらも先生の本名ではありません。
小野も作中で言っているように、
「アンタの名前も正しく呼べない」
つまり先生の本名は明確にされないままだということです。
自分の事を“ユリちゃん”と呼ぶ過去の先生。
もしかすると私生児であり、“バケモノ”と疎まれて育った先生は
名前を付けてもらえなかったのかもしれません。
だからこそ、母親の名前である“ユリ”と名乗ったのかもしれません。
臓器売買のために集められた子の中で先生は一番
“コイサンゲンテイ”を信じていました。
小さい頃から虐待を受けていたことも相まって
暴力を受け入れることへのハードルが低かったのだと思います。
“コイサンゲンテイ”=“希望”
つまり、“暴力は崇高な儀式である”。
母親が自分を殴っていたのも、
“自分を一番にするため”、“嫌いだからじゃない”
そんな風に考えるようになり、
暴力に対するプラスイメージを持っていたからこそ
コイサンゲンテイの力がうまれたのかもしれません。
イケダ町は先生の“コイサンゲンテイ”の力によって変わったものです。
先生の願い事は
“誰かが自分と出会ってよかったと思ってもらえること”
“誰かに愛されること”
でした。
この願いは小野によって叶えられているということに気付き、
愛=暴力ではない
つまり、“暴力は崇高な儀式ではない”と認めることで
イケダ町とそれに関連するものはもとに戻ってしまいます。
そして先生は少しの臓器のみの姿にかわってしまったのです。
●小野耕平について
作品で小野は、暴力を否定する、先生を救う役として描かれています。
小野はカイドに根性焼きをされた時点ではコイサンではなかった。
しかし、碑石に願い事をすることで願いを叶えられる権利を得る
=コイサンになる。
当初小野はコイサンを否定していました。
しかし、先生の願いを叶えようと奔走する小野は最終的に
コイサンゲンテイはあってもよいのだと言います。
理不尽な暴力や搾取にあった人は
暴力に耐えた見返り、ご褒美のようなものがないと
救われないと考えるようになりました。
「搾取に意味があってはいけない」
といっている高校生の小野と対峙する成長した小野。
小野は搾取した(臓器移植を受けた)母親から
産まれているわけですから、小野の存在そのものが搾取である。
搾取に意味があってはいけないので
自分の存在をなくし、臓器をとられた先生に
本来生きるはずだった人生を返す。
それが小野の願いである、
“オレの人生をあなたに返させてください”
に繋がります。
●描き下ろし『親友トミーの告白』について
トミーの告白により、トミーが小野の母親のカルテを書き換えており、
小野の母親は臓器移植をしていなかったことが描かれています。
本編に関わる大きなことなので
トミーの告白って描き下ろしだよね!?と
ビックリしてしまいました。
トミーは作中で
「自分の罪を許すという事は自分の生き様を見失うという事だ」
と語っています。
小野が来ることがトミーにとっての支えであったということは
トミーは自分を偽りながら生活をしていく中、
自分の罪を小野に責められることで
自分の生き様を見失わないようにしていた。
しかし、トミーの父の葬式で小野に受け入れられたとき
現実と向き合うようになったのだと思います。
魔法の鍵を使って開けた中には一本のビデオテープ。
ビデオテープにうつっているのは
先生の母親、松原百合。そしてイケダ町の裏家業。
ここに登場する小野はトミーが見ている“妄想”なのではないか
と思いました。
自分の罪を許すことができないから
妄想の中の小野に責めてもらうことで自分を支えていたのでは?
この話の冒頭に“集団ヒステリーを体験した”とあります。
この集団ヒステリーの症状がトミーにだけ、まだ続いていたとしたら
と考えた結果、小野の死後50年の辻褄も合いますし、
小野の年齢が変わる理由も
“トミーの都合のいい妄想”なのかなと思います。
この作品は実際にあった事件をきっかけに描かれ、
ファンタジーとして昇華されています。
あとがきで先生が
「イケダの救済が無意味である」と書かれています。
それは、亡くなった命はどうすることもできないからです。
亡くなった命を救うにはファンタジックな展開にならざるを得ません。
二人の願いが叶ったのだから結末はハッピーエンドなのでしょうが、
BL漫画である必要はない気がします。
しかし、非常にメッセージ性の強い作品です。
読む人によっては、搾取や暴力の救済について
先生とは異なる考え方になるかもしれません。
グロい表現があるので万人におすすめはできませんが
それが大丈夫な人には是非読んでほしいです。
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